I Wanna Cry


【 4.昔の女 】

「遅くなるけど、構わないか?」

 電話の向こう側にいる彼女はわかったと告げた。

「いつものホテルで先に待っているわ」
「できるだけ、早く行くようにはする」
「……来てね」

 彼女は念を押す。
 たった一人でホテルで待ち続ける淋しさに耐えられないのではなく、呼んだ男が来ないことに耐えられないのだろう。

「……あぁ。行くよ。必ず」

 微かだが彼女の安心した吐息が聞こえた。

 もし、俺が約束を破り、行かなかったら、どうするのだろう?
 酷い男だと罵るのだろうか?
 そんなこと俺には言えるはずない。
 再会したあの日。

 ―― 最低な女よね。徹也を捨てて他の男と結婚したのに。上手くいかなくなったからって、昔の男に頼り縋ろうとするなんてね。

 苦笑した後、彼女は泣き崩れた。

 ―― 彼、浮気しているの。誰とだと思う? 私の元同僚よ。信じられないわ。もう1年も続いているのよ。

 この世の全ての不幸が身に降りたかのように泣き叫んだ。
 余りの彼女の変わりように、俺は呆然としていた。
 かつて愛した女の姿はそこにはなかった。
 彼女をここまで変えてしまった原因は、夫だけにあるとは思えない。
 二股かけていた女なんだ。
 彼女の言うことを全て鵜呑みできない。

 彼女を批難することは簡単だった。しなかったのは、ふつふつと沸き立った醜い感情のせいだ。
 俺の愛した女を幸せにできなかった男への恨み。そんな男を選んだ彼女を嘲笑った。
 この女をどうすれば、奈落の底へ突き落とせるのかを考えた。
 思い浮かんだのは、同情し、理解深い男を演じること。
 俺を捨てた彼女への復讐の始まった。

 お前が期待するような言葉を言ってやる。
 抱いてやるさ。何度だって。
 お前が望むように。
 期待に応える俺をなぜ手放したのかと後悔するに違いない。
 
 後悔してくれ。
 
 手放したものを。捨てたものを。
 お前が全てを捨てて、俺を選んだ時、復讐が成立する。
 愛するものに裏切られた痛みをお前は知るだろう。
 あの時の俺を。

 お前に復讐する機会を得るために、こうして都合よく会っているんだ。
 いや、こうして再び出会うために今まで生きていたのかもしれない。

 汚れきった感情に蝕まれながらも、鮮やかに甦ってくるのは、二人で過ごした日々。
 もし、奇跡が起こり、会えるなら、会いたいと思っていた。
 
 情けない。
 目の前で心から悲しげに泣くお前にこれ以上の仕打ちなどできない。
 別れてから今まで、ずっと忘れられずにいた。

 彼女には、縋りつくものは俺しかいないんだ。
 哀れだな。
 俺も。お前も。


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