I Wanna Cry


【 8.時の流れ 】

 彼女はベッドから半身を起こすと、チェストの上に置いてあったタバコをくわえ火をつけた。
 ソファに座っていた俺は、タバコの煙をゆっくりと吐き出す彼女を眺めていた。

 タバコに嫌悪感を抱いていた彼女がタバコを吸っている。
 俺が吸っていると、髪の毛に染み付くから止めてと睨んだ。
 彼女といる時は、できる限りタバコは吸わないようにした。どうしても吸いたくなった時は、窓を開けなるべく煙がいかないように注意した。

 ―― タバコを吸った後、キスするのはやめてくれる? タバコの味がするから。
 ―― そんなこと、今まで言われたことなかったけどな。

 タバコの火を消しながら言った俺に、その子たちは気にならなかったのよと彼女は告げた。
 そうとは思わないけどとボソリと呟いた言葉を聞き逃さなかった。

 ―― どういうこと?

 勘のいい彼女は俺が言わんとすることにピンときたのだ。詰め寄って、挑むように俺の目を覗き込んだ。

 ―― どうだろな。

 彼女の唇に唇を重ねた。

 ―― 徹也は都合が悪くなると、キスするのよね。
 ―― よく、ご存知で。

 彼女は柔らかく抱きついた。

 ―― 誰よりも私が一番徹也を知っているんだから。

 誇らしげに告げた彼女をこのままずっと愛し続けようと誓った。

「何?」

 俺の視線に気付いた彼女はけだるげに髪の毛をかきあげた。

「別に、何でもない」
「……そう。なら、いいんだけど」

 不満気に目を伏せ、再びタバコを口にくわえた。

「そろそろ、帰るか……」

 床に散らばっていた彼女の服をベッドに投げた。

「もうそんな時間?」

 彼女はベッドの近くにある時計を見た。
 1時30分を過ぎたところだった。

「帰っていないとやばいだろう?」
「心配ご無用よ。彼は帰ってないわ。あちらのお宅にいらっしゃるわ。どっちが本当の家なんだか」

 憎々しげに笑った。

「夫婦そろって仲良く浮気中かよ」

 俺の皮肉に彼女はカチンときたらしい。顔を真っ赤にして睨みつけた。

「徹也に何がわかるって言うのよ」

 叫んだ後、急にむせび泣き始めた。

 反吐が出そうなくらい自分勝手な女。
 己の不幸な境遇を最優先にし、俺のことなどお構いなしだ。

 金を使って俺の居場所を探し当て、特定の女性がいないと知ると会いに来た。
 長い間、一人で悩んでいたと言う。
 ついに、夫の浮気に耐えられなくなった彼女は仲の良い女友達に打ち明けた。
 女友達は、応えた。

 ―― 何も別れること無いんじゃない? お金はちゃんと振り込んでくれてるんでしょう? 別れてもさ、慰謝料なんて少ししかもらえないんだよ。だったら、黙認してさ、あんたも別の男作ったら?

 できないと彼女は思った。だが……。考えてみて、それもそれでいいかもしれないと思い直したと言った。

 ―― 最低な、本当最低な女だよね。私。

 嘲笑いながらも、俺に何かの言葉を期待していた。
 俺は何も言えなかった。ただ、哀れで仕方なかった。

 再び彼女の裸体を目にした時、余りの変わり様に俺は呆然とした。
 元から痩せていた彼女だが、げっそりと肉は剥がれ落ちていた。
 いたたまれない姿に俺は目を瞑った。

 悲しかった。それ以上に悔しかった。
 俺だったら、彼女をこのようにはしなかった。
 だが……。
 選んだのは彼女だ。

 幸せにしたかった女が不幸の海の中に沈んでいる。
 俺にはできるのだろうか。
 同じ不幸の中に沈む勇気など……。
 ない……。
 救い出したとしても、彼女は再び俺の手から離れる予感がした。


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