I Wanna Cry
【 12.同僚 】
店に入ると、いつもは俺より遅い司が来ており、開店の準備をしていた。 「早いな。徹也」 思わぬ俺の登場に司は驚いていた。 「そりゃ、俺のセリフだ」 俺は拭き終えたグラスを棚にしまった。 「徹也は遅刻するかもしれないから、早く行けってメール入ってさぁ」 にまにま笑いながら司は言った。 ……なるほど。 俺は司が早く出勤してきた理由を知った。 喫茶店の誰かが、店で会っていた女の子とどこかへ行くと予想し、速攻司にメールを送ったのだろう。 バナナジュース持ってきたくらいだから、ホテルまで連れ込むと思っていたに違いない。 オーナーは栄養価の高いバナナが大好きだ。 休憩中にはバナナジュースを飲むように強制している。 バナナジュースは元気の素。働く従業員はバナナジュースを飲んで元気になろうというオーナーの心遣いのようだが、単に経費に金をかけたくないとも言われている。 いつ頃かはわからないが、元気の素「バナナジュース」は、従業員の間では今晩あの子とがんばりなと言う意味をこめて使われるようになった。 「徹也は、罪なことをしているよな〜」 一度は俺とかわってもらいたいと、心にも思っていないことを司は平気で言った。 司はとらえどころのない性格をしているが、顔立ち、スタイルといい、文句のつけようがない。ごく稀に、魔性の生きものの様な、一瞬にして虜にする雰囲気を醸しだす。 ―― 気を持たせるようなことを言わないで。 ―― 好きでも無い女の誘いにどうして応じるの? ―― 私は真剣なのに、あなたは遊びでしかないのね? 名前も顔も覚えていない女たちの言葉だけが急に蘇ってくる。 好きでも無い。嫌いでも無い。どうでもいい女だから、どうでもいい扱いしかしなかった。 彼女達が俺に好意を抱いているのを知りながら誘いに乗ったのだから、いくらどうでもいい女とは言えども責められて当然だ。 俺の人生の中に深く立ち入ることの無い通り過ぎるだけの女に、断る理由など見当たらなかった。 ―― 惚れた女にだけ好かれたらいい。 司の持論にそうでありたいと何度思ったことか。 だが、実際、そう上手くはいかない。 想いを抱いても伝わらない方が世の中多すぎる。 上手くいかないから何度も恋をし、やがて一人の人に巡りあうのだろうか? 「今度はどんな子なんだ? いつものごとく、適当に扱って、適当に別れんの?」 興味深げに司は顔を覗き込んできた。 「しねぇよ。……そんな気すらもおこらねぇ」 「ん? どういうことだ?」 不思議そうに司は聞く。 俺は彼女――高名由佳が現役の高校生だと言うべきか躊躇った。 高校生に好かれたなんてなぁ……。 制服を着た少女は恋の対象外で、逆に恥ずかしい。 「すっげーブスとか? すっげーデブとか?」 「……そんなことはない」 俺は由佳ちゃんを思い出した。 化粧っ気のない純粋な女子高生のように思えた。 そして、真っ直ぐだ。 初めて恋をした頃の自分と重なる。 「……高校生なんだよ」 司の目が点になった。 まさか、高校生とは想像していなかったようだ。 「ひょえ……つーことは」 「10は離れてる。へたすりゃ、一回り下だ。お子さまは射程距離外だ」 「若すぎると、下手に手出せねぇな。そこまで若けりゃ、自分の好みの女に成長させるってのはどう?」 光源氏が育てたみたいにさぁと他人事だと思って気楽に言う。 「一時的な気の迷いだろう。すぐに学校の男に目がいくさ」 「恋を気の迷いの一言で片付けちまうの?」 「実際そうだろう?」 俺は司に問い掛けた。 自分の理想とはかけ離れた人物に惚れてしまうことがある。 辛くてどうしても一人ではいられない時、ふと側にいる子に気付く。 何故惚れたのかもわからない。 だが、確かにあの時の自分はその子に恋をしていた。 淋しさを紛らわす為に恋をしていたのかもしれない。 由佳ちゃんは何か辛いことがあり、支えるものが欲しくて探していた。 それがたまたま俺だったのだろう。 何かに頼りたいなら、頼ればいい。 偽りの恋でもいい。一時でも忘れ、何かに打ち込むことができるのなら。 恋が加速しない程度に、傷付かないように、由佳ちゃんの恋が納得し満足して終われるようにしてあげたい。 そして、今度は本当の恋をすればいい。 俺はこのまま誰も愛さず終わるんだろう。 再び誰かを愛する力などない。 違う。 本当はもう一度、誰かを愛したい。 だが、怖くて踏み出せない。 深く愛した人に裏切られるかもしれない恐怖を振り払うことができない。 失うのが怖いのなら初めから愛さなければいい。 恋なんて、しなくても生きていける。 ただ生きていくだけじゃ切ないから、人は誰かに恋をするのだろう。 恋は熱病だ。 熱さにうなされ、何も見えない一瞬の病。 愛は、何だろう。 永遠の病なのだろうか……。 ―― 愛だけでは生きていけない。 万里子の言葉が蘇った。 俺は、お前さえ側にいてくれたら生きていけると思っていた。 |