I Wanna Cry
【 21.ハートのシール 】
時々、時間の流れが違うように感じる。 楽しい時はあっという間に過ぎ去ってしまうのに、つまらない退屈な時はたった5分がとても長く感じてしまう。 1日は24時間と決まっているけど、今日はその倍はあるように思える。 もうお昼になってもよさそうなのに、まだ学校に来てから1時間もたっていない。 もっと早く放課後になってもらいたいのに、何度時計を見ても5分以上は進まない。 私がずっと時計を気にしているのに気付いた隣の席の子が、先生が板書している間に小声で「何か用事あるの?」と聞いてきた。 「……うん、行きたいところがあって」 「買物?」 「うん……」 買物なんて嘘。 好きな人に会うと言えるほど、その子と仲がいいわけでも無い。 それに軽々しく誰にでも好きな人がいるなんて言っちゃいけない。 大切な想いは胸内にひっそりと秘めておくものだ。 私の嘘を素直に信じてくれた彼女と適当に話をあわせた。 今日の9時からのドラマ楽しみだねと聞かれて、そうだねと相槌を打った。 お母さんがドラマ好きなので、家のテレビはほとんどドラマばかり映っている。 お父さんがニュースを観たいと言って、お母さんにダメって言われて、しょんぼりと肩を落とし寝室の小さなテレビで一人で観ている。 好きになれないドラマは観たくないので、お父さんと一緒に寝室でニュースを観ている。 株価が値下がりしたとか、世界の緊迫した情勢を映し出されても、私にはピンとこない。 もし、徹也さんが株をしていて、持っている株が暴落して借金まみれになってしまった。徹也さんが戦争に行かなければいけなくなったらと想像してやっとわかるくらいだ。 ほんの少し前なら家族に置き換えて考えたことが、今は徹也さんにかわっている。 一番だった家族が、二番目になっている。 生まれてからずっと育ててくれた家族より、まだ数回しか会っていない徹也さんが大切。 もし、徹也さんが危険な目にさらされようとしたら、私は身代わりになる。 世の中の事知らない私にできることなど少ないけど――もしかしてないかもしれないけど、私は徹也さんの為なら何だってする。 こんな気持ち、初めてだ。 いつも、守ってもらいたいと思っていたのに。 私が誰かを守りたいなんて。 すぐにでも飛び出して行きたい。 すぐに会いたい。 想いだけが強くなり、先走ってしまいそう。 長かった授業がやっと終わり、残すはSHRだけなのに、先生はやってこない。 急いでいる時に限ってどうしてこうなのだろう。 早く行かないと、徹也さん、お仕事に行かなきゃいけない時間になってしまう。 毒づきながら待っていると、遅くなったことを詫びらず、SHRをはじめた先生が憎らしかった。 数分で終わり、その後は掃除だ。今週は掃除当番ではないので、私は机を後ろに送るとすぐに教室を飛び出した。バスに乗って駅へと急ぐ。電車に揺られて数分後、徹也さんの住む街に着くと同時に家まで走る。 腕時計を見て、時間を確かめる。 頑張って走ってもギリギリ間に合うかどうかだ。 徹也さんの家まで続く緩やかな坂道は私に試練を与えた。 ようやく辿り着き、徹也さんの玄関のドアの前に立つと、胸が高鳴ってきた。 私は呼吸を整え、髪を手でといてから、チャイムを押した。 しばらくして、はいとインターフォンから返答があった。 徹也さんだ。 また、緊張してきた。 「あのぉ、高名由佳です」 「あぁ、すぐ開ける」 がちゃんと鍵をはずす音が聞こえ、ドアが開いた。 「やあ」 徹也さんは私に微笑みかけてくれた。 やっと会えた。 たった一日会わなかっただけなのに、長い間会っていない気がした。 「これ、由佳ちゃんのハンカチだろう?」 クマのハンカチを手渡された。 持っているクマのハンカチの中でも特別お気に入り。 それなのに、忘れて帰ってしまったことにも気付いていないなんて。 私自身のあの日の落ち込み具合を改めて知った。 でも、この子を忘れて帰ったお陰で、徹也さんと会えたのだ。感謝しなくちゃいけない。 「はい。私のです……。あれ?」 私は徹也さんを見上げた。 もしかして、徹也さん。 「洗濯してくれたんですか?」 「わかるのか?」 徹也さんは驚いた後、笑いながら告げた。 「ちょうど洗濯していたから」 洗濯。 洗濯機の中で、徹也さんの衣類と一緒に私のクマのハンカチがぐるぐる回っていたのだろうか。 一緒に、ぐるぐる。 徹也さんの物と私の物が一緒にぐるぐる。 真っ赤になって、倒れてしまいそうなことを妄想してしまった。 「俺、今から仕事行くけど、由佳ちゃんの家、店の近くだよな」 店とは、喫茶店の方をさしているんだろうか。 本職のお店はどこにあるのか知らない。 私がお酒を飲めない未成年だからお店を教えてくれないのか、それとも、職場に来られたら迷惑だから? マイナス思考になった私は落ち込んだ。 自信が無いから、良くない方へと考えてしまうのだろうか。 「少し離れてますけど」 「じゃ、近くだな。送っていくよ」 「ええ!!」 とても嬉しい。けど……。 「いいんですか?」 お仕事に行かなきゃいけないのに、送ってもらってもいいのかしら。 「行く道だし。それに、ここでさよならもなぁ」 理由をそれとなく感じとると、泣きたくなってきた。 徹也さんは学校が終わりすぐに忘れ物を取りに来た女の子と、ここでさよならして仕事に行くのは、男がすたると思っているのだろう。 私の為じゃない。自分の為に送ってくれるのだ。 悲しい。 でも、しょうがない。 徹也さんにとって、私はそのような存在でしかないのだ。 無理して送って欲しくない。一人で帰れますって言いたいのに。 徹也さんとの共有できる時間を私は放棄できなかった。 車のことは全くわからないので、徹也さんがどういう種類の車に乗っているのかわからない。 色は紺色。フォードア。運転席は右。どちらかと言えば、スポーツカー系? 助手席に座ると、私はシートベルトをしめた。 助手席には滅多に座ることが無いので緊張した。 家族で出かける時は、助手席はお母さんだ。私は後部座席から、仲良くしゃべる両親を見ながら前に広がる景色を眺めている。 だから、知らなかった。 景色が広がっているなんて。私はまるで小さな子どものようにはしゃぎそうになった。 「近くに来たら、道教えてくれる?」 先ほど私の家を徹也さんに教えた。 大体の場所はわかってくれたけど、住宅街の中になるので地元の人じゃないとわかり辛い。 「はい」 ゆっくりと車は前進し始めた。 聞きたいことたくさんあったけど、私が聞くより先に徹也さんが聞いてきた。 私は聞かれたことに答えるだけだった。 徹也さんは当り障りの無い会話を選んでいた。 主に学校のことだった。 高校時代の徹也さんの話を聞けてうれしかったけど、聞けるなら今の話の方がいい。 10年前いた彼女の話より、今いるのか聞きたいけど。 そんな勇気、私には無い。 結局、聞かれたことも上手く応えられなくて、徹也さんは退屈したかもしれない。 話したいこともっとたくさんあったのに、家に着いてしまった。 今日はここでお別れだ。 「送って下さって、ありがとうございます」 私はシートベルトをはずした。 今度、いつ会えるんだろう。このまま、会えなくなるかもしれないと思うと不安になる。 ほんの少しだけでいいから、つながりを持っていたい。 「あの……、またメールしていいですか?」 徹也さんの返事が少し怖くて、俯きながら尋ねた。 徹也さんは気付いているはず。 私が徹也さんの事好きだって。 12歳も年下の女の子に想われて、鬱陶しいって思っているかもしれない。 「あぁ、構わない」 「本当?」 顔を上げると、徹也さんは楽しそうに笑っていた。 「メールは遅れがちになるけどな」 ****************** 私は手帳にシールをぺたぺた貼っている。その横に色ペンで一言書いてある。何かの拍子に他の人が手帳を見たとしても何のことかわからないだろう。 シールをたくさん貼りたいだけの女の子の手帳と思うかもしれない。 私の小さなシールには色んな意味がある。 ピンクのハートのシールは徹也さんからメールがあった日。 赤いハートのシールは会った日だ。 初めて会ったあの日から、はじまっている。 赤いハートの数はまだ少ない。 毎日、ハートのシールで埋め尽くされたらいいのに。 赤いハートを毎日貼るようになれたらいいのに。 そんな日がいつかきたらいいのに。 |