I Wanna Cry
【 22.記憶 】
やはり、苦手な空間だと俺は確信した。 年始、実家に帰った時、子どもと接するぐらいで、普段は機会が無いせいであろうか。 本能のままにちょろちょろ動き回る小さな子どもは苦手だ。 デパートの子どもコーナーの一角にあるベビー服用品で、万里子は出産祝いの女の子用のベビー服を選んでいる。 いくつか選び、どれが一番かわいい? と聞いてきた。 かわいらしいものに疎い俺にはどれも同じに見える。女の子だと聞いているので、薄めのピンクの服を指差すと、他のと比べてシンプルすぎるかもと言って候補外にした。 俺の選んだのを対象外にするのなら初めから聞くなよ。 突然、パパと右足に子どもが抱きついてきた。振り返ると、小さな女の子と目が合った。 父親じゃないと気付いた女の子は、わっと泣き出した。 我が子の泣き声聞きつけてやってきた父親は、どこをどう俺と間違えると言いたくなる。 ぼちゃっと少し太り、髪が薄くなりかけている男だった。 すみませんと謝り、娘を抱きかかえて帰っていった。 泣きたいのは俺の方だ。デブではげかかっているヤロウと間違えられて。 その様子を少し離れたところから見ていた万里子は、くすくすと楽しそうに笑い声を上げていた。 「お気の毒に」 「……決まったのか」 憮然として聞く。 「ええ」 万里子が手に持っているものをちらりと見た。 うさぎとアヒルが刺繍されてある淡いピンク色の服だった。 選んだが却下されたのとどこがどう違うのか全くわからない。 「いーんじゃない。それで」 投げやりな言い方にかちんときたらしい。俺をジロリと睨みつけ無言のままレジへ向かった。 おもちゃ売り場の前には子どもが遊べるスペースがある。 数人の子ども達がはしゃぎ声を上げながら、思いっきり遊んでいた。 ガキって何であんなにうるさいんだろうと思いながら眺めていた。 ふと万里子に視線を落とすと、微笑ましそうに見詰めていた。 もしかして。 万里子は子どもが欲しいのかもしれない。 そんな気がした。 早く結婚したのに、後から結婚した子たちが先に出産していく。友達の出産に喜びながらも、本当は妬んでいるのかもしれない。 もし、万里子が子どもを産んでいたら、夫は浮気していないかもしれない。 それでも浮気していたのなら、万里子は子どもを支えに生きていたかもしれない。 俺と再会しようとは思わず。 「夕食は何にする?」 下りエスカレーターに乗った万里子は尋ねた。 「メシ、どっちにする? 外食にするか、家で作って食べるか」 「じゃ、徹也作ってよ」 「俺一人でか?」 そうと万里子は頷いた。 「人の家の台所って使いにくいじゃない」 最もそうなことを言った。 ****************** 頻繁に泊まるようになってから万里子は料理を作った。 前日、家で練習してきたのだろうが、万里子の手料理は大失敗だった。 野菜は中まで火が通っていない。牛肉は焼きすぎていて身が固く小さくなっていた。 無言で食べ続けている俺に、万里子は嫌な予感が走ったのだろう。 万里子は一口食べ、箸を置いた。 ―― 徹也、無理して食べなくていいわよ。 ―― 無理してねぇよ。 ―― うそ……。こんなの料理じゃないよ。 万里子は努力した甲斐も無く、失敗した料理を前に涙ぐんだ。 ―― お前が作ってくれたんだ。食べるよ。 ―― お腹、壊すわよ。 ―― いいよ。別に。そん時は、看病してくれ。 ―― ……徹也って……、馬鹿。 馬鹿にはありがとうと含まれていた。 俺は、初めて万里子が作ってくれた手料理をたいらげた。 翌日寝込んで万里子に散々わがまま言って看病してもらおうと思っていたが、俺の胃腸はかなり丈夫だった。 ―― あれでも、大丈夫なのね。 と、変な自信がついた万里子は次から次へと挑戦し、俺は具合が悪くなる料理を食べるはめになった。 ****************** 「で、何が食べたい?」 そうねと万里子は考え始めた。 「グラタン。チーズたくさん入れてね。ブロッコリーとジャガイモは忘れないでね。後は徹也の得意な料理でいいわ」 そうそうと万里子は付け足した。 「辛すぎるのは嫌よ」 スーパーに寄った。万里子は思うままにカゴの中に入れていくので、油断ならない。 二人では食べきれないもの、日持ちしないものを平気で選ぶ。 本当に主婦なのかと疑ってしまう。 お嬢さん育ちで金持ちの男と結婚した彼女の経済感覚は一般人とは異なるのだろうと納得しざるを得ない。 普通の男じゃ、こいつと結婚できねぇよな。 どんなに愛しても、生活は続かないだろう。 万里子は生活水準を下げたくない女だから、俺ではなくあいつを選んだのだ。 家に戻り、リビングに入ると万里子はまぁと声を上げた。 「部屋、片付いている」 どうしたのとソファに腰掛け上目遣いで聞いてきた。 「別に、どうもしねぇよ」 高校生の女の子を家に入れて、痛恨の一撃を喰らったからなんて言えるわけが無い。 他の女の話をして、妬かせるなんて、年若いヤツラのすることだ。 「私が泊まるから?」 「どうだろうな」 俺は隣りに腰掛けた。 万里子がそう思いたければそう思えばいい。お前が出した答えで満足するなら、それでいい。 万里子が他の料理出してと注文してくると、俺は食事中でも立ち上がりキッチンへ向かう。 相変らず、わがまま―― 女王様気質は健在だ。 最後のシメに食べたがっていたグラタンを出すと、嬉しそうに笑い話し掛けてきた。 「ねぇ、覚えている? 徹也が私に初めて作ってくれたのはグラタンなのよ」 「……そう、だったっけ?」 全く覚えていない。 「すごく嬉しかったから覚えてるの」 人の記憶に時々驚かされる。 心が動き、鮮明に記憶に焼きついているものは、人によってこんなにも違う。 綺麗に消えてしまった昔の事を言われると、いてもたってもいられなくなる。 大切にしたいと思う。 たとえ、終わりがきても。 「また、食べられるなんて、幸せね」 万里子には何気ない一言だったのかもしれない。 だが、俺は応えることができなかった。 いつでも、作ってやるよ。 なんて言葉、言えやしない。 ****************** 「もうすぐ、誕生日ね」 眠りにつく前、思い出したかのように万里子は言った。 「誕生日の日は休みなんでしょう?」 誕生日は必ず休みと決まっている。 オーナー自身が休みたいから決めたのだろう。 「彼が出勤して、帰ってくるまでなら……。誰かとすでに予定してある?」 体を寄せ、俺の顔を覗き込む。 今日のように夫がいなければ、万里子は泊まるつもりだろう。 「予定はある。家で一人寝続ける予定」 「淋し〜。じゃ、私が添い寝してあげる」 楽しそうに笑いながら、胸に頬をうずめた。 「邪魔すんなよ」 万里子の髪を撫でながら、瞼に軽く口付けた。 「徹也もね」 互いに何度か軽く口付けあいながら、やがて眠りについた。 |