I Wanna Cry
【 24.12月5日――徹也 】
もし、俺が12月の一番の稼ぎ時―― クリスマス・イブ生まれであったら、その日は誕生日休暇として認めてくれたのだろうか。 時々どうでもいいようなことを考える。 夫を送り出してから間もなく、万里子が現れた。 いったい何を考えているのか。この女は。 素っ裸になってベッドに寝転び、優雅に雑誌をめくっている。 「徹也の眠りを妨げるようなことはしないから」 ベッドにもぐりこもうとした俺ににっこり微笑んだ。 充分、妨害していると思うが。 よほど、先日俺の言ったセリフが気に入らなかったらしい。 俺はリビングへ引き返し、ソファに腰掛けテレビをつけた。 「お昼どうする?」 雑誌を読みながら万里子は聞いてきた。 俺が言う前に、「私、行きたいことがあるんだけど」と告げた。 「お前、今日は俺の誕生日だから、俺の好きなところでいいって言ってなかったか?」 「言ったわよ。でも、どうしても行きたいんだもの。行けば徹也も気に入るはずよ」 だから、そこの店にしましょうと? 一旦、万里子が決めたらそこに行くしかない。俺が何と言おうとも万里子は譲らない。 だったら、最初から俺の好きなところでいいなんて言うなよな。 「それより―― こっち来ないの?」 頬杖つき、誘う目をした。 「来て欲しいなら素直に言えよ」 「本当は来たいくせに」 俺の胸中を見透かしているかのように万里子は、くすくす笑った。 素っ裸の女がベッドに寝転んでいるんだ。全く気にならない男がいるのなら、一度お目にかかりたい。 「来ないのだったら……」 万里子は布団に包まったまま、俺の膝の上に座った。 「来てあげたわ」 首に腕を回し、唇に吸い付いてきた。 ***************** 万里子希望のモダンなリゾートホテルを感じさせるレストランで、昼食を済ませた後、家に戻ってきた。 途中、デパートにより赤ワインを買った。 ほどよく冷やした後、コルクを抜いた。 万里子は酒は苦手なくせに、ワインだけは飲める。ワイングラスに波々ついでやると満足気に笑った。 「徹也にプレゼントあるの」 紙袋の中から丁寧にラッピングした長方形の箱を手渡された。 片手で持っても軽い。 無難なところで、ネクタイにしたのだろうか。 「開けてみてよ」 俺はリボンをほどいた。すると中から、大筆と小筆が姿を現した。 「年始、子ども達の書初めの添削するんでしょう?」 母は自宅で書道教室を開いている。 先生の子どもの字が汚くては話にならないので、俺たち兄弟は幼い頃から強制的に書道を習わされていた。 万が一、母に何かあった時のことを考えて、兄弟は師範の免許を持っている。(実際には無理矢理だったが)年をとるにつれて、ますます元気になっている母を見ていると、急いで取得する必要はなかったのではないかと思えてくる。 「年始、実家に帰るんでしょう?」 「……あんまり帰るたく無いんだがな」 故郷を思い出し、俺は苦笑した。 年始に子どもを集めて書初めをするのだが、母一人では面倒見切れないので、帰省して来た俺たち兄弟に手伝わせる。 子どものパワーはすごすぎて疲れる。できることなら帰りたくは無いが、帰らなかったら、母というより姉にいつまでも根にもたれるので俺は帰省するしかない。 「よく覚えていたな」 それにしても、万里子がこんなことを覚えていたなんて、正直驚いた。 正月帰った時、書初めの添削している話をした覚えは無いのだが。 俺の欠けた記憶を万里子は覚えている。 万里子が忘れている記憶を俺が覚えているように。 「私も一応徹也の生徒だったし」 万里子は微笑んだ。 滅多なことで筆を使うことのない万里子の字は、上手くはなかった。普段使用している筆記具とは違う持ち方に慣れるのに時間がかかった。大筆はすぐにやめて小筆に変え、祝儀で使う字だけをマスターした。 「月謝払っていたっけ?」 月謝の代わりに何かしてもらっていたような気がする。 部屋の掃除だったか? 「忘れたの?」 万里子は目を見開いた。 「キス5回だったじゃない」 「……そうだったか?」 全然記憶にない。 と言うか、俺がキス5回なんて言うか? キス5回じゃすまない気がする。 「……変えてもらったのよ。本当は……」 万里子が言い出す前に思い出した。 「1回させてだったっけ」 「そう。最低」 むすりとふくれて俺を睨んだ。 冗談で言ったのに万里子は本気だと思い込み、そこらにあった物を俺に投げつけてきた。 笑い声に満ち溢れた日々。 あの頃に、もう一度戻れるものなら……。 「……なぁ」 「何?」 何でもないと首を振り、言葉を飲み込んだ。 その先の言葉は簡単に口に出してはいけない。 ―― あいつと、別れちまえよ。 言ったところでどうなる。 万里子が苦しむだけじゃないか。 地位も名誉も財産も無い男に万里子は振り向かない。 |