I Wanna Cry


【 25.由佳のバースディ 】

 容姿も性格も印象付けるようなものがない平凡な人間は苦労する。
 他は人並以下でも、たった一つだが飛びぬけた才能を持っている人は、その才能を武器にいきいきとしている。

 私は、どこにでもいる女子高生だ。
 街に出ればすぐに人ごみの中に埋もれてしまうような平凡な女の子だ。
 大勢の人に自分の存在を知ってもらいたいとは思わないけれど、私の事をずっと覚えていて欲しい人がいる。

 私が寒い冬の夜空を見上げた時、あなたを想うように。
 緩やかな日差しにあなたの声を思い出したように。

 ありふれた風景に、ふと私を思い出していてくれたらいいのに。

 あなたのことを想い続けていくと、だんだん泣きたくなる。
 ついさっきまで、あなたのことを考えて、微笑んでいたのに。

 私は、本当はもうわかっている。
 初めてのこの恋はうまくはいかないことを。
 徹也さんは私より12も年上の大人の人なのだ。
 徹也さんの前では右も左もわからない小さな子どもと大差無い私を、徹也さんが本気で相手にしてくれるはずがない。

 勇気を出して徹也さんに聞いてみたい。
 知ってしまえば、この苦しみから解放され、楽になるかもしれない。

 楽になれる。
 それは、良い意味でも悪い意味でも、今の私の状況から救い出してくれる。
 解放より苦しみを選んだのは、初めての恋をまだ失いたくないだけ。

 12月5日は徹也さんの誕生日だった。
 翌日のお昼すぎてから、メールが届いた。

 ―― メール、ありがとう。
 年とると余りうれしくないもんだな。

 徹也さんは28になり、私は15のまま。
 15日になると、私は16歳になる。
 私が徹也さんの誕生日を覚えていたように、徹也さんは私の誕生日を覚えていてくれているのだろうか。
 期待はしないことにした。
 期待通りにならなかった時のショックの大きさに私は耐えられない。後ろ向きな考え方だけど、私は何も望まないことにした。

 決めたと言いながらも、15日はずっとメールを待っているのだろう。
 来ないメールに私は泣く。
 メールをもらって喜んでいる私よりも、泣く私は簡単に想像できた。

 私は言葉にできないくらい徹也さんの事を想っているのに、徹也さんは私をたまたま知りあった高校生としか思っていない。
 いつ、どうしたら、知りあい程度の仲から発展できるのだろう。
 誰か知っているのなら教えて欲しい。

 徹也さんのメールはそれっきり来なかった。
 今日は私の16歳のバースディ。
 朝学校に行く私にお母さんは、「ケーキは何がいい?」と訪ねてきた。

 ケーキ。

 思い出すのは、徹也さんと会った喫茶店で勧められたチョコレートケーキだった。

「チョコレートケーキ」

 自然に声に出していた。

「あら、由佳ちゃん、チョコレートケーキ好きだったの?」

 意外そうにお母さんは言った。
 好きだったんじゃない。好きになったんだ。徹也さんと出会ってから。

「チョコレートケーキがいい」
「わかったわ。それじゃ、買ってくるわねー」

 お母さんはいつものケーキ屋さんで買ってくるのだろう。でも、私の食べたいのは、徹也さんと初めて会ったあの店のチョコレートケーキなのだ。

 徹也さんと出会ってから、世界が動き出した。
 何にも無い無色透明な世界が彩られ、音楽が聴こえはじめた。
 ただ生きていただけの私に、喜びも悲しみも苦しみもあなたが教えてくれた。
 あなたに出会わなければ、私は本当の生きている意味を知らずに過ごし続けていたのだろう。
 例え、この恋が実らずに終わりを告げたとしても、私を目覚めさせてくれたあなたに私は感謝する。

「ここの店のチョコレートケーキにしてよ」

 私は店の名前と地図を書いた。
 確か、販売もしていたので、買えるはず。
 場所を教えるとお母さんはあらと不思議そうに声をあげた。

「由佳ちゃんこんな店知っていたの?」
「……うん。ここのチョコレートケーキにしてね」

 お母さんは何か言いたそうにしていたが、テレビに好きなタレントが映るとすぐにテレビに夢中になった。
 お母さんがテレビに気をとられて正直ホッとした。色々根掘り葉掘り聞かれそうだったから。
 お母さんが私に話し掛けないうちに、私は学校へ足早に向かった。

 お母さんはチョコレートケーキを買ってきてくれる。そして、いつもと同じバースディを迎えるのだ。
 蝋燭の向こうには両親がいる。
 暖かい炎の向こう側に彼がいたら、いいのに。

******************

 16年間変わらない誕生日を迎えた。両親は私の小さい頃の話をして懐かしがっていた。
 小さい頃の記憶なんてほとんど無い。
 一番古い記憶はデパートで迷子になったこと。それ以外は何にも覚えていない。
 覚えていないのは、きっといつも同じような生活をしていたからなのだろう。

 思い出が無い。それは淋しいことだ。
 大人になって懐かしいと思い出すのは、徹也さんと出会ってからのことなのだろう。
 誕生日プレゼントは前に買ってもらったので無かった。我侭を言って高いコートを買ってもらった。
 私に好きな人がいることをお母さんにばれてしまった。
 こういう話好きなくせに、お母さんは思った以上に聞いてこなかった。
 もしかして、私の恋の行方を静かに見守っているのかもしれない。

 誕生日ケーキは朝言ったお店で買ってきてくれた。
 甘くないチョコレートケーキを一口食べ、徹也さんを思い出した。
 徹也さんはチョコレートケーキと似ている。
 控えめな色なのに、存在感がある。そして、ほんのりと悲しくさせる。

 部屋に戻ると机の上に、プレゼントがあった。袋をあけるとクマのハンドタオルが姿を現した。
 誕生日にプレゼントがもらえないと可哀想だとお母さんは思ったのだろう。
 私の好きなクマを選んでくれた。お母さんにお礼を言わなくっちゃいけないと部屋を出ようとしたとき、携帯電話のメールの着信音が鳴った。

 私は動けなかった。
 その曲は徹也さんからのメールが着た時だけに流れる曲なのだ。
 耳元で鼓動が聞こえる。私は震えながら携帯電話をとり、メールを開いた。

 ―― 誕生日おめでとう。16だったっけ? 友達と誕生日会でもしてるのか?

 思わず泣きそうになった。
 たった一度しか言っていないことを徹也さんは覚えていてくれた。
 忘れていても当然なのに。

 ―― ありがとうございます。残念ながら、家族といっしょです。(T_T)

 5分と経たないうちにメールが返ってきた。

 ―― 来年は彼氏と一緒に祝ってもらえよ。

 徹也さんは何気なくメールを書いてきたのかもしれないけれど、鋭利な刃物で刺されたかのように胸が痛んだ。
 私には、遠まわしにあきらめろといっているように感じた。
 12も歳が離れている女の子に好きになられるのって抵抗があるのだろうか。
 私は年なんて気にしないのに。
 あなたが好きなのだ。あなたがあなたである限り私は恋をし続ける。
 でも、徹也さんは嫌なのかもしれない。女子高生は。
 大人の人が女子高生を連れて歩きたくは無いのだろう……。

 もう少し早く私が生まれていたら。
 もう少し遅く徹也さんが生まれていたら。
 今よりも少しは会って、話ができているかもしれない。

 私がどんなに想っても徹也さんは振り向いてはくれないだろう。
 こうやって相手をしてくれるのは、嫌いではないからだよね?
 そう信じたい。
 子ども扱いされてもいい。
 時々こうやって私のことを思い出してくれるだけで満足だから。
 でも、本当はあなたの恋の対象として見て欲しいけれども。

 私は、少し勇気を出してみた。

 ―― できたら、そうだといいな。もし、彼がいなかったら、徹也さん祝ってくれますか?

 書いた後、メールを送信するのに躊躇したが、思い切って送信した。
 徹也さんは私のメールを見てどう反応するのだろうか。
 私は期待と不安でいっぱいだった。しばらく待ってから、着信音が鳴った。

 ―― ああ、いいよ。いなかったらな。

 私は嬉しくて飛び上がりそうだった。
 16歳になったばかりの私を喜ばせる為にメールを書いたのかもしれないけれども。

 徹也さん以外の彼ならいらない。
 来年の誕生日は絶対、徹也さんにお祝いしてもらうの。
 17歳になった私を祝ってくれるのは私の彼氏になった徹也さんだったらいいのに……。
 16になったばかりなのに、もう来年の誕生日を考えていた。


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