I Wanna Cry


【 4.部屋 】

 一目だけでいいから、会いたい。
 それだけで満足するから。

 祈るような想いで、ここにやってきた。

 徹也さんの家の近くにあるコンビニで、私は雑誌を読むふりをしている。
 この前の道を徹也さんが通ってくれたらいいのに。
 男の人が通るたびに、心臓がドキッとなるが、すぐに溜息が漏れる。

 いくら、こんなに近くの場所にいても、会うのは難しい。
 徹也さんがまだ家にいてそうな時間帯を狙ってやってきているのに。

 今日は木曜日。
 徹也さんはお仕事に行っているかも知れない。
 定休日は水曜日で、週によって違うがもう1日お休みがある。
 連休になるように、火曜か木曜のどちらかが休みになる場合が多いっていっていた。
 今週は、どうなんだろう。
 もし、木曜日が休みの日なら、家にいないかもしれない。

 好きな人と会っているかもしれない……。

 徹也さんは今、好きな人と同じ時間を過ごしている。
 優しい笑顔で彼女を見詰めている。

 想像して、胸がきゅっと痛くなった。
 苦しくてたまらない。

 徹也さんが愛している人は、大人の女性で、綺麗な人なんだと思う。
 私じゃかなわない素敵な女性。

 私は、自分の服装を見た。
 制服。
 短めのスカート。長いソックス。
 大きな鞄には、手作りのクマのぬいぐるみがぶら下がっている。
 大人になりたいくせに、子どもを主張している格好にうんざりした。

 私は時計を見た。
 4時30分を過ぎていた。
 もし、徹也さんが今日お店にいく日なら、もう出て行ってしまったはず。

 今日も会えなかった。
 毎日、ここに来ているのに会えないのは、運がないから?
 それとも、徹也さんが私に会いたくないから?
 私はこんなに会いたいのに。

 また胸が痛み出した。
 痛くて涙が零れ落ちる。
 泣いちゃダメだ。
 こんなところで。

 毎日泣いて帰ってくる私を心配してお母さんは聞いてくる。

「学校で何かあったの?」と。

 新学年になるとお母さんはおろおろしながら私に聞いてくる。
 何も無い。学校では。
 いつもと同じ。つまらない。

 今週、会えなかったら、もうあきらめよう。
 会えないのは、神様が会うなといっているからかもしれない。

 一方的な恋心は、神様には届かないのか。

 たった、一目でいいの。
 会えたら、私は満足するから。
 もう、あきらめるから。

 神様、おねがい。

 哀れな少女の一途な願いを神様は叶えてくれた。

******************

 向かい側の道を歩く男の人を、一瞬の内にとらえた。
 徹也さんだ。間違いない。
 紺色のシャツを着た徹也さんは、近くにある横断歩道を渡らず道路を横切る。
 どこへ行こうとしているのだろう。
 雑誌を置き追いかけようしたが、徹也さんはまっすぐ私のいるコンビニに向かってきた。

 ……どうしよう。

 嬉しいけど、恥ずかしい。
 扉が開いて、徹也さんが入ってきた。
 そして、雑誌を立ち読みしている私に気付いた。

「……由佳ちゃん?」

 ずっと聞きたかったその声は、驚きの色を隠せなかった。

 そうだよね。
 私がこんなところにいるの、おかしいものね。
 思わず、私は読んでいた雑誌で顔を隠した。
 耳まで熱い。
 きっと顔は真っ赤になっているに違いない。

「偶然?」

 そんな訳ないじゃない。
 住宅街のコンビニにいるの怪しすぎる。
 徹也さんどうしてわかんないのかしら。
 もしかして、わかっていて、そういっているのかも……。
 と思うと、顔から火が噴出しそうだった。

「せっかくだから、家寄る?」

 徹也さんは笑いかけてくれた。
 しょうがない子だなって。

「いいんですか?」

 私は遠慮しがちに尋ねた。
 だって……。徹也さんの家に、彼女でも無い私が入ってもいいの?
 もし、偶然彼女がやってきたら、嫌な想いすると思うんだけど……。
 もしかして、徹也さんの好きな人は、高校生の女の子に嫉妬するような女の人じゃないのかもしれない。

「構わないよ。コーヒーくらいしか用意できないけど」

 はいと頷き、私は徹也さんの後をついていった。

******************

 夢を見ているんじゃないかと思う。
 こんなこと、実際ありうるはずがないから。
 でも、本当だ。現実なんだ。

 私は部屋をちらりと見た。
 前より少し片付いた気がするけど、前と余り変わっていないような気がする。
 床に服が散らばっているし。
 でも、変っていないことに嬉しくなり、思わず微笑んでしまった。

「由佳ちゃん」

 コーヒーをテーブルに置くと、徹也さんは話し掛けた。

「男の部屋にホイホイ入っていくもんじゃないぞ」
「はい」

 頷くと、徹也さんは困ったように笑った。

「本当にわかってんの?」
「はい。わかってますよ」
「わかっているのなら、どうして俺の部屋に来たわけ?」
「どういうことですか?」

 徹也さんが何を言おうとしているのか私にはわからなかった。

「襲い掛かかられたらどうすんの?」
「襲い掛かるような人なんていません」

 私が笑ってこたえると、徹也さんは苦笑いをした。

「そう思っているのは由佳ちゃんだけで、男なんて何を考えているかわかったもんじゃない」
「どういうことです?」
「俺も何を考えているかわからないってこと」

 徹也さんはテーブルの上に置いてあったタバコに火をつけて、思いっきり吸い込んでから吐いた。
 なんだか私の知っている徹也さんと違う気がする……。

「……徹也さんはそんなことする人じゃないです」
「そうか?」

 徹也さんはタバコの火を消すと、顔を近づけてきた。
 驚いて後ろに逃れようとする前に、強い力で両腕を掴まれた。
 振り払えない。

 まともに見れないくらい近くにいる。
 何を考えているのかわからない表情で私を見据えている。
 大好きな徹也さんだけど、怖くなってきて、涙が溢れ出てきた。

「徹也さんはそんなことしない人です……」

 涙声で告げると、徹也さんがぴたりと止まった。

「……ごめん。悪かった」

 徹也さんは背を向け頭を抱え込んだ。
 長い間、私のすすり泣く声だけが響いていた。

「送るよ」

 立ち上がった徹也さんは落ち着いてきた私に告げた。

「私、一人で帰れます」

 涙をハンカチで拭きながら告げると、思ってもいない言葉が返ってきた。

「そうだな。警戒した方がいい」

 そんなつもりで私は言ったのではないのに。
 どうして、伝わらないんだろう。
 真夜中なら素直に送ってもらったけど、まだそんな時間じゃないから、言ったのに。

 どう言えばいいんだろう。
 どんな言葉を告げたら、徹也さんには伝わるのだろうか。
 肝心な時に何も思い浮かばない。

「私、どうしたらいいんですか?!」

 自分でも訳がわからなくなり叫んだ私を、徹也さんは驚いて見詰める。
 言いたくない言葉が思い浮かんだ。いつもなら押さえることができたのに、今日は止まらなかった。

「私が徹也さんの事嫌いになるだろうって、あきらめるだろうと思って、こういうことしたんですか?」

 時に言葉は凶器となる。
 徹也さんは血色の無い顔で私を見ていた。
 見えない鋭利な刃物で深く斬り付けられ、大量の血を流しているのだ。

「徹也さんが他の女の人好きでもいい。私は徹也さんが好きなんです」
「俺は君に好かれる資格なんてない」

 うなるように言ったのは、私に軽蔑されるようなことを今までしてきたからか。
 今までどんな風に暮してきたのか、生きてきたのかを私が知ったら、傷付くと思っているのだろうか。
 それとも、古い傷が疼き、耐えられなくなるから?
 
 気にならないといえば、嘘になる。
 過去をどんなに悔やんだところで修正はできない。
 できることは、可能性のある方向へとつなげることではないだろうか。

「……何故、俺なんだ?」
「そんなのわかりません。好きになるのに、理由は必要なのですか?」

 徹也さんは静かに目を伏せ、聞き取れないくらい小さな声で告げた。

 そうだな、と。

 疲れ切った表情で空を見詰める。その姿は余りのも遠くに感じた。
 あなたは過去を見詰め、私は今を見詰めているから、こんなに遠くに感じるのだろう。


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