神が見捨てた地と呼ばれるこの地方には、黒や栗色の大地が広がっている。
太陽はギラギラと容赦なく照りつけ、夜は凍えるほど寒い。
年間を通して雨はほとんど降らず、水源は枯れ、過剰な放牧が災いし砂漠化が進んできている。
この地方には「人間」の天敵である「妖魔」が多く出没する。
寒さ厳しい季節が近づいてくると、飢えた妖魔たちが高い城壁に囲まれた小さな国に侵入してくる。
今年は例年と比べて厳しく、実りが少なかった。
飢えた妖魔たちは、国内に侵入し、家畜や人を襲うのであろう。
妖魔は強い。
妖魔一匹に対し、訓練した数人の兵士でやっと倒せるかどうかだ。
今年は防げるのだろうか……。
冬が近づいてくると、人々は話し始める。
――この国から逃げ出そうか。
――移民は容易く受け入れてくれないと聞くぞ。
――行くも留まるのも地獄だ。
国民の不安と不満の声は大きく膨れ上がっていていき、国王の耳にまで届く。
国を統べる彼は決断した。
提案には賛否両論あったが、それしかなかった。
メイレア姫はバルコニーから厚い城壁の向こう側に広がる荒野を見詰めていた。
「ねぇ、サンソン。どうして荒野に行ってはいけないの?」
後ろに控えている若い従者にメイレア姫は尋ねた。
生まれてから一度も城から出たことの無いメイレア姫は、外の世界に強い興味を抱いていた。
波うつ蜂蜜色の髪が風に吹かれてなびく。
「荒野には妖魔がおり、危険です」
サンソンの答えは昔から言われ続けてきた言葉と同じでメイレア姫はうんざりした。
聞きたいのはそんな言葉ではない……。
妖魔は怖い存在と小さない頃から繰り返し聞かされてきた。
妖魔の住処があるといわれている荒野に暮らしている人々がいることに、姫は最近になって気が付いたのだ。
「フーン……。でも、荒野に住んでいる人いるみたいじゃない?」
メイレア姫は指を差した。
その先にはテントがはってあり、夕食の仕度をしているのだろう。煙が上がっている。
「あぁ、あれは人ではありません」
サンソンは明らかに侮蔑していた。
「……?」
いつも、優しい微笑を向けてくれる彼には似合わない表情にメイレア姫は眉をひそめた。
メイレア姫の視線に気付いたサンソンは自嘲的な笑みをこぼした。
「彼らは半獣人なのです。人でもあり、獣でもあるのです」
「はんじゅうじん?」
メイレア姫は聞きなれない言葉を繰り返した。そうですとサンソンは頷いた。
「普段は人の姿をしている獣です」
「どうしていつもは人の姿をしているの?」
碧眼が教えてと告げる。
愛くるしい表情に似合わない艶っぽい仕草にサンソンの胸はドキリと鳴った。
時折見せる女っぽさにサンソンは動揺する。
サンソンは咳払いをし、心を落ち着かせてから告げた。
「彼らにとって、人に化ける事は都合のいいことなのです。妖魔は人を食べますが、半獣人の彼らは妖魔を食べるのです。つまり、人に化けた半獣人は妖魔をおびき寄せ食べるのです。彼らは妖魔を追い移動する習性を持っております」
「……じゃ、妖魔は来るのね?」
妖魔を食う半獣人の彼らがここに来ていることは獲物たる妖魔が多くいることだ。
姫は瞬時に悟ると脅えた。愛らしい顔が恐怖に引き攣り、小さな体は震えている。
「姫。ご安心下さい。姫は必ず私がお守りします」
「……本当ね。絶対、約束よ」
メイレア姫はサンソンに抱き付いた。ポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
「必ず、命にかえて」
思わず抱き寄せそうになる腕を止めて、サンソンはメイレア姫を安心させるように応えた。
会議終了後、戻ってきた王から決断を聞いた王妃は眩暈を覚えた。
思わず倒れそうになったが、自尊心がそれを許さなかった。
「……本気なのですか?」
驚きのあまりかすれきった王妃の声に、あぁと王は頷いた。
「私は反対です。あのような汚らわしいものをこの国の中にいれるなど!!」
王妃は青筋を立て叫んだ。
誇り高き王妃は平気で身分の低い者を見下し、よそ者を信じない。ましてや、半獣人は王妃にとっては汚らしい畜生以下の存在であった。
王は王妃が反対するとはじめからわかっていた。しかし、王は民を救わなければならない。
「……決まったのだ。従え」
王は苦しげに告げた。
「……私、気分が悪いですわ。退室します」
王妃は口元に手をあてて、早足で出て行った。
王は大きな溜息をついた。そして、周辺にいる侍従たちを見た。
彼らも激しい動揺が隠せないでいた。
半獣人を国内に入れる――彼らに助けを求めるなど王も地に落ちたといわんばかりの視線に王はカッと頭に血が上った。
「お前達も、半獣人の助けなど必要ないというのか? 我々だけで妖魔を倒せるといえるのか? ならば倒してみろ」
連日の疲れのせいだろう。王の眼は目が赤く濁っている。
普段は穏やかな王ではあるが、近頃は些細な事で激昂する。
王の乱暴な発言に侍従たちはただ俯き黙り込んでいた。
妖魔を倒す事など並大抵な人間では無理だという事を、誰よりもこの国の者は知っていた。
ギンは遠くから自分を見ている視線を感じとっていた。
余りにもじっと見詰められるから、肌がちりちりとしてきて痛い。
視線の主が誰なのか……?
ギンは視線の主を確かめず、服の汚れを払っている従兄弟のクロトの袖を引っ張った。
「クロト。誰かが僕を見ている」
クロトは遠く――城壁の中にある城のバルコニーから見ている幼い少女と青年を見付けた。
とてもいい洋服をきた蜂蜜色の髪、碧眼の少女はこの国の姫君だろう。
確かそのような噂を聞いたことがある。
ギンが生まれる2年前に生まれたとも。
「お姫様と従者が見てる……っていっても、お前を見ているわけじゃない。ここら周辺を見ている」
クロトははっきりと告げてやった。
人はここにいる半獣人の姿をはっきりととらえることはできないが、半獣人である彼らは遠くまで見ることができる。
「見ているなんてな……。自意識過剰だな」
とクロトは鼻で笑った。
「……うるさい」
機嫌を損ねたギンは荒野を走っていった。
「あーあ、すぐすねちまって」
クロトはやれやれと両手をあげた。
ギンは自分の銀色の髪も真紅の目も気に入らない。
祖父母も、両親、親戚、従兄弟も皆黒髪なのに、何故かギンだけ銀髪だ。
しかも、肌の色も透き通るほど白い。一族の皆から、かよわく見られるのが悔しい。
強くなりたい。
誰よりも強くなりたい。
狩り上手と呼ばれた祖父のように。
ギン達半獣人は獲物たる妖魔を追い移動する。
今年の冬、この場所を選んだはの族長たる祖父だ。
雪も降らないし、狩りもしやすいだろうとクロトはいった。
だけど……。
ギンは雪が降り積もるところが好きだ。
白い雪が降り積もる世界だと自分の姿が風景に溶け込み、狩りをしやすくなるからだ。
一面が銀世界だったら、誰よりも一番上手く狩りができるのに……。
ギンはちっとも雪が降りそうにない空を憎々しげに見上げた。