月下の城 〜Castle in the moonlight〜

5.襲来


 メイレア姫は鏡台の前に座り、いつもよりきつめに結い上げられた髪を気にしていた。
 今日、彼女の御髪を整えてくれた侍女は、熱心にしすぎるので苦手だった。
 少しでも不満をいうと、次の日からいなくなってしまうので、メイレア姫は極力いわないようにしている。

 余り話したことがない人でもいなくなってしまうのは寂しい。
 母が出て行ってから、父は酒に溺れ生活を省みない。
 父はこの国を治める王なのだから、困難なことがあっても逃げてはいけないとメイレア姫は思う。

 力が抜けた父を見ると胸が痛む。

 私はお父様の力になれないの?

 メイレア姫は無力な自分に嫌気がさした。
 だから、一歩踏み出したのに、そのような行動はとってはいけないと禁ぜられた。
 メイレア姫はチラリと扉を見た。扉の向こう側には護衛のサンソンがいる。部屋から出てくる彼女を待っている。

 この前、サンソンを振り切って半獣人の住む西の塔へ行ってから、彼と言い争った。

「決して半獣人とはお会いにならないように」
「どうして、いけないの?」

 サンソンは問いには応えてくれなかった。険しい表情で一点を見詰め、微動だにしない彼の態度に苛立ちが募った。

「……ギンは私の夫なんでしょう? どうして、気軽に会いに行っていけないの?」

 声を荒げて尋ねると、サンソンの顔が歪んだ。今にも泣き出しそうな表情を浮かべたので、メイレア姫は動揺した。

 サンソンがどうしてあんな顔をしたのかわからなかった。
 いつもの通り振舞っていてもいいのか判断つかないから、サンソンとは会いたくない。

 会いたくない人と会いたい人。

 真っ赤な夕日のような目の色としろがね色の髪の半獣人。
 妖魔を倒せる半獣の民は、妖魔よりも猛々しい種族に違いないと思ってた。
 だけど、あの子はまるで繊細なガラス細工のように、少しでも取り扱いを間違えば壊れてしまいそうだった。
 
 ここから出なければ彼には会えない。
 メイレア姫は立ち上がり、窓辺へと向かった。ベランダに出、ここから降りようかと思ったが、かなり高く子どもの彼女では無理だった。

 今日はこのまま部屋の中で過ごした方がいいのかしら。

 振り返って扉を見る。きっとサンソンはそこにいるにちがいない。

 メイレア姫がどこへ行こうとしても、彼はついてくるだろう。

 ――私は護衛ですから。

 彼は迷わずこたえるに決まっている。
 それが時に苦しい。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 



 ワイルは自室の中で一番濃い影の中に溶け込むと、瞬時に目的地へと跳んだ。
 彼が目指したのは、情報屋と呼ばれる男のテントだった。彼は狩りを行わない代わりに様々な場所へ赴いて、他族と交流し、情報を集めてくる。情報によって値段を変えているのか、人の足元を見ているのかはわからない。ワイルが彼に支払う金額は決して安くはない。
 男はワイルがやってくるのに気付いていたのか、影の中からぬっと現れた彼を見ても驚かなかった。

「よう。どうだい。飼い犬になった気分は」

 ニマニマと右端だけをひき吊り上げたいやらしい笑みを浮かべていた。

「犬じゃなくて猫だろう。俺たちの場合」

 ワイルが訂正すると、男はフンと鼻で面白くなさそうに笑った。

「つまんねーこといえるってことは、あんまり困ってないってことか」
「食料が尽き果ててきている」

 思ってもいなかった返答に驚いた男は目を丸くした。

「長老からたらふくもらっただろう?」
「……食べ盛りの子どもがいるからな」

 ふーんと顎をなでながら、彼は白くて小さい男の子を思い浮かべた。か弱い印象のギンがガッツガッツ食べるようには思えなかった。

「飼い猫暮らしはどうだ?」
「族長の孫息子が二人もいれば、気を遣う」
「孫可愛さに、耄碌しちまった長老なんぞ、さっさと追い出しちまいな。一族の者はそう思っているさ」

 挑戦的な目で熱っぽく語った情報屋の発言にワイルはこたえずに、己が気になることを聞いた。
 それを聞くためにここまできたのだ。

 年老いてきた族長は自ら「長」を引退し、近々、有望な人物に譲るものだと思っていた。
 族長は引き際を知っている男だった。未だ権力にしがみついているのは、孫の行く末を案じているからだろう。
 白い子――ギンは庇護なしでは生きていけない弱い子だ。同じ年頃の子と比べ、劣っている。足は遅く、ワンテンポずれている。持久力もなく、すぐに根を上げる。
 父親は怪我をし、狩りはできない。母親一人だけでは暮らしを支えられないだろう。
 ギンの家族が何とか生きていけるのは、族長の血族だからだ。
 まだ幼いギンはそのことを知らないから、いずれは族長の座を狙う、恵まれた境遇から突き落とすかもしれない男に無邪気に笑いかける。

 ――どうしたら、ムトゥントスを狩れるの?
 ――狩りの腕が上達したら、できるようになるかもな。
 ――本当? んじゃ、いっぱい狩りの練習する。

 大輪の花が咲いたかのように笑い、駆け出して行ったギンの後姿を目を細めて見ていた。

 あんなにかわいい子を悲惨な目にあわせたくない。だから、決心が付かない。

 こうやって心が揺れ動いている内は、まだ覚悟が足りない証拠だ。
 族長の座を狙うのはまだ早い。
 老獪な族長の手の平で上手い具合に踊らされている感がする。

 ギンの守役として選ばれたのも、きっと何か意味がある。
 族長の真意がわからないようでは、まだ族長になれる器ではないのだろう。

「そんなことはいい。妖魔はくるのか」

 考え込みそうになったワイルは気持ちを切り替えた。今、知りたいのは、族長の心理ではない。妖魔が来るのかだ。
 情報屋は面白くなさそうに舌打ちした。

「クルガがくる。あいつら、はるか上空を飛んでいやがる。目的地に辿り着くまで下降する気配がない」

 意外なクルガの行動にワイルは考える。

 目的地とは、今ワイルたちがいる城をさすのだろう。
 長距離を飲まず食わず飛んでくる意味はなんだ。

「何匹来ている?」
「三匹。勇猛さを見せ付けたい若いのが一匹いる。やつが先来るだろうな」

 腹をすかせた若い妖魔が来る。
 それだけ聞けば充分だ。

「情報料はつけといてくれ。まとめて返す」

 ちゃっかり利子をつけられるとは思ったが、情報料を払う時間はなかった。

 ワイルは軽やかに影の中に飛び込んだ。

 作戦を立てよう。
 族長の孫息子たちは狩りに参加したいというだろうが、クルガの狩り方をじっくりと見学してもらおう。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 



 ここ数日、クルガは飲まず食わず遥か上空を飛び続けていた。
 クルガの群れを率いる女王が居心地のいい土地を探しており、彼女に気に入られんがため、若いクルガたちは必死になって探していた。
 人間たちが「神が見捨てた地」と呼んでいる地には、彼女が好きそうな城がある。やや小さいが気に入ってくれるのではないかと若いクルガは胸を躍らせた。

 彼女のためだけに、彼女のためだけに。

 若いクルガは飛び続けた。

 途中で一人、また一人と脱落していき、残りは自分ひとりだけになった。
 それだけで、勝負には勝てたのだが、彼は彼女に気に入ってもらえるまではまだ充分ではないと思った。
 地上を見ると、獲物が歩いている。緑が多く、水豊かな大地で暮らす人間を狩るのは難しい。彼らは妖魔を一撃で倒す恐ろしい武器をも作り出す知恵があり、容易に近づけない。
 だが、日々生きるのが精一杯な土地の人間たちは、ろくに抵抗もせず、簡単に狩れる。
 目指す地に近づいてきた。子どもたちが荒野を走っている。若いクルガは急降下し獲物を捕獲したい気になったが、あれは天敵である半獣人が人の形をしているだけかもしれない。
 空腹の余り判断力が鈍りかけている。集中しなければいけない。人間と半獣人は微妙に匂いが違うのだ。

 もうすぐ。もうすぐ、城に着く。城に着けば、えさがある。それまで我慢するんだ。

 彼は羽をばたばたと動かし、小さな城を囲む城壁を越えた。
 まだ夕暮れ時だというのに野外に出ている人影がない。彼は思わず舌打ちした。
 獲物はいないのか。
 少し離れたところで、一人の女が何かを抱えて歩いている姿が見えた。
 空腹に耐えかねた彼は狙いを定めて急降下した。
 鋭い爪で女の肩を掴み、上空へ連れ去る。高い場所へ行き、誰にも邪魔されず食事を取る。
 久しぶりに食する肉は美味いだろう。
 若いクルガの口には多量の唾液があふれ出してきた。

 彼は、女の細い肩に爪をくいこませる。――はずだった。
 だが、彼が掴んだのは地面だった。女はどこへ消えたのかと首を傾げると同時に背骨が折れた音がした。
 何者かが背に降り立ったのだ。
 誰なのか。
 それは、黒いものだった。
 額に傷がある黒い獣だった。
 それだけわかると暗い奥底へと意識が沈んでいった。

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