今朝から冷え込んでおり、ギンは部屋の中で丸くなっていた。くっつくとすぐ怒るクロトが怒らなかったので、彼も寒いと感じていたのだろう。
「寒いね」
ギンがつぶやくと、あぁとクロトが返事をした。
「お腹すいた」
と言うと、じろりとにらまれた。
あるものをあるだけ食べてしまったギンは、散々クロトに責められた。だから、言ってはいけないとはわかっているけど、お腹がすいてしまったので、思わず言ってしまった。
「誰のせいだと思ってんだ?」
今にも噛み付かれそうな言い方をされ、ギンは涙ぐんだ。
「ごめんなさい。……だって、おいしかったんだもん」
クロトは大きなため息を一つついてから捲くしたてた。
「何がおいしかったんだもん! だっ! 美味いからって全部食うアホがいるか! お前は当分の間、メシナシだ。俺たちが美味そうに食っているのを横で見ておけ。言っておくけどな、俺は一口たりともお前にはやらねーからなっ!」
「けちっ」
「ケチだとぉ! この意地汚い口が悪いんだろうが!」
クロトはギンの頬を思いっきりつねった。ギンが大声出して泣き叫ぼうとした時、ギンの部屋にある一番濃い影が揺らめいた。誰かが来ると察した彼らは反射的に身構えた。太い腕が見え、ぬっと現れたのはワイルだった。
自室にいたセラをギンの部屋に呼ぶと、開口一番にワイルがクルガが来ると告げた。
「クルガか……」
まだ空を飛ぶ妖魔を狩ったことがないクロトは武者震いした。
上空を飛ぶクルガをどうやって狩るのだろう。
想像すると、興奮してきた。
「僕も狩りする」
隣でのん気な声を上げたギンにクロトはイラッときた。
「お前には無理だ。大人しく観てろ」
はしゃいだギンの頭をポカリと殴った。
「なんで?」
目を潤ませながら、クロトに抗議した。
「俺たちは、妖魔を狩る条件で城にいるんだぞ。失敗できねーんだよ」
「その通りだ」
ワイルが賛同し、クロトはにやりと笑ったがすぐさま、その笑みが消えた。
「クロト、お前も見学だ」
「何でだよ!」
クロトはずかずかと歩み寄り、食って掛かる。激しい炎を灯した目でにらまれても、ワイルは動じなかった。
燃えさかる炎を打ち消す水のごとく告げた。
「お前が言ったじゃないか。失敗できないと。クルガをまだ狩ったことがないお前も今回は大人しく見学してろ」
「俺はできる」
クロトは言い切ったが、ワイルは静かに首を横に振った。
「お前はまだ高く跳べない」
欠点を指摘されたクロトはワイルに言い返せず黙っていた。一緒に見学とはしゃいでいるギンの声が鬱陶しくて、頭を殴った。いらだっていて、力の加減ができていなかった。痛みに耐えられなかったギンはワンワン泣き始めた。
ギンはセラに抱き、思いっきり泣くことで、自分の可哀想さとクロトの酷さをアピールした。
セラは泣くギンを優しく抱きしめているが、目だけはクロトをにらみつけていた。
クロトはフンとそっぽを向いた。
次期長老に一番近いワイルにはっきりと言い切られてしまうと、反論できないのが悔しい。
実力があれば、言い返せたのに。
高く跳べたら。跳べたら、参加できたのに。
セラに抱きついているギンにワイルは話しかけた。
「ギン、お前にやってもらいたい仕事がある」
「僕に?」
首を傾げながらギンは尋ねると、ワイルはあぁと頷いた。
「とても、大切な仕事だ。やってくれるな?」
どんな仕事かわからなかったが、尊敬するワイルから頼まれたなら、断る理由なんてない。
「うん! する」
ギンは笑顔でこたえた。
人間たちに妖魔がやってきたことを知らせるため、ギンたちが住む西の城の屋上にある鐘を五回鳴らすことになっている。
それをしてきて欲しいとワイルに頼まれた。ギンは張り切って屋上へと向かおうとする。だが、ギン一人では無理なので、ワイルはクロトにも頼んだ。
「クロト、お前もついて行ってやれ」
不満げな表情を浮かべていたクロトはしょうがないなと息を吐くと、気持ちを入れ替えた。
「行くぞ、ギン」
クロトは階段を駆け上がっていく。ギンは遅れないようにくクロトを追いかけた。人の姿のままでは到底追いつけないので、ギンは豹の姿になって追いかけた。後ろを走るギンが豹の姿に変わっているのを見たクロトは、黒豹の姿へと変わり、一気に駆け上っていく。ようやく縮まった距離がまた離れていく。
「待ってよ。クロト!」
クロトを呼んでも、彼は先を行くばかりで待ってはくれない。必死になって駆け上ると、空が見えた。空は今にも雪が降り出しそうな雲で覆われていた。はぁはぁと吐く息が白い。
ギンは屋上に着いていた。キョロキョロと辺りを見渡していると、すでに人の姿に戻っていたクロトが槌をギンの目の前に突き出した。
人の姿に戻ったギンは差し出された槌を受け取ったが、ギンには少し重かった。しかし、よろめかないようにがんばって持った。
「これで、あの鐘を五回鳴らすんだ」
鐘はギンよりも大きかった。同じところを叩かれているのだろうか、一箇所だけが傷んでいた。
ギンは鐘の側まで歩み寄ったが、少し高くて、ギンには届かなかった。
「しょうがねぇな」
頭をかいたクロトはしゃがみこみ、乗れと指図した。ギンはクロトにおんぶしてもらった。
「いいか、五回鳴らすんだぞ」
「うん」
クロトに乗ったまま、ギンは槌で鐘を鳴らした。
妖魔襲来を知らせる西の城にある鐘が鳴った。
一度聞くと忘れられない特徴のある鐘の音が聞こえてきた時、メイレア姫は恐怖の余り動けなくなった。
妖魔が来たの?
メイレア姫は鐘の音の数を数えた。
一回、二回と数えるうちに胸が高鳴っていく。
本当に、妖魔が来るの?
嫌な汗が流れ落ちていく。
三回、四回。そして、五回鳴った。それ以上は鳴らない。
妖魔が来る!
全身が恐怖に支配される。その場にうずくまり動けなくなりそうになる前に、メイレア姫はドアの側へと駆け寄り、外で控えていると思われるサンソンを呼んだ。
「サンソン! サンソン!」
メイレア姫は取り乱していた。尋常ではないメイレア姫の声に、無礼とはわかっていながらも、勝手にドアを開いた。
血の気のない真っ青を通りこした土気色の肌に、瞳孔が開き、額から汗が噴出している。
「姫、落ち着いて下さい。姫は必ず私がお守りしますから」
震える彼女の体を抱きしめることができたなら、サンソンはそうしただろう。
騎士たるものは、姫君の体には触れてはいけないのだ。
メイレア姫を落ち着けようと、サンソンは心を込めて話しかける。
「妖魔が……」
「姫、私が必ずお守りしますから、ご安心して下さい」
サンソンは守ってくれる。
メイレア姫が心配しているのは半獣人たちだった。
彼らはあの恐ろしい妖魔を倒しに行くのだ。
人間を襲い喰う妖魔と戦い、無事でいられるのだろうか。
あの小さなギンも倒しにいくの?
メイレア姫は祈ることしかできなかった。