I Wanna Cry


【 7.日曜日 】

 鏡の前に立つ。
 タンスからあるだけの服をひっぱりだしては、これは違うと悩んだ結果、ようやく納得のいく服を選んだ。
 悪くは無い。
 茶色とベージュでまとめた服装は秋らしいし。
 後は……。
 ピンク色のルージュをゆっくりと塗った。
 これで少しはいつもより可愛らしく見える。
 大きく息を吸って、呼吸を整える。

 あの人に会える。

 そう思うだけで鼓動が高まる。
 この日の為に、話題を考えた。
 シュミレーションして、彼の返答に対応できるように言葉を考えた。

 大丈夫。上手く話せる。
 両手を握り締め、呪文を唱える。

 大丈夫。大丈夫。上手くいく。

 時計の針は、もう出かけなければいけない時間をさしていた。

 いけない!

 部屋を飛び出した。階段を慌しく降りると、居間からお母さんが顔を出した。

「由佳ちゃん! もう少し静かに……? あら、どこか行くの?」

 着飾った娘に興味を抱いたらしい。目が輝いている。

「もしかして、デート?」

 はしゃぐお母さんを無視して私は家を出た。

 家に帰ったらお母さんに根掘り葉掘り聞かれそうだ。
 目をランランと輝かせ、自分の知りたい情報を得るまではいつまでもつきまといそうだ。
 お母さんが喜ぶのも無理は無い。
 小さい時から友達がいない――できない私をずっと気にしていた。
 習い事をさせたら、友達もできるだろうと、次から次へとたくさんの習い事をさせられたが、友達は全くできず、嫌々していたので中途半端なまま終わった。

 ―― 由佳は一人でお人形遊びや、絵を描くのが好きなのね。

 お母さんに言われたのはいつだっただろうか。
 それ以来、私は習い事をさせられることはなくなった。
 学校のことも聞かなくなった。―― 流石に早退すると聞いてくるけど。

 ごめんね。お母さん。私、いい子じゃなくて。
 いつも心配かけて溜息ばかりつかせて。
 お母さんに心配かけたくないけど、無理みたい。
 頑張ろうと思えば思うほど苦しくなる。
 私って自分勝手なんだよね。本当に子どもだよね。
 もっと周りにことに気を配らないといけないよね。

 でも、あの日は違ってたの。
 びっくりするほど、力が出た。
 ここでがんばらなくっちゃ、後悔するって思った。
 初めて会った人に、こんな気持ち抱くのっておかしい?
 今、私を動かすこの強い力、お母さんは知っている?

******************

 店に一歩ずつ近付くたびに心臓の鼓動が大きくなる。
 耳のすぐそばでどくどく鳴っている。
 急に怖くなってきて、このまま立ち去りたい衝動にかられる。
 だめだ、ここで逃げちゃいけないと自分を叱咤した。

 ここの扉を開けたら……。
 この先どんなことが待ち受けているのだろう。

 私、変われるかもしれない。

 私は期待をして扉を開けた。

「いらっしゃいませ〜」

 愛想良くウエイトレスが迎える。

「お一人様ですか?」
「は、はい」
「では、こちらへご案内いたします」

 私はウエイトレスの後をついていきながら、彼がいるかどうか探した。
 流石に日曜のティタイム時はたくさんのお客さんがいて、おしゃべりに花を咲かせている。バックミュージックが聞こえない。
 店内には彼の姿は無かった。奥にいるのかな……。
 少しがっくりきた。でも、少しホッとした。
 何度もシュミレーションしたけど、いざ本当の彼と出会うと頭の中がパニック状態になってどうしていいのかわからなくなる。

 案内された席に座り、ケーキセットを注文した。
 飲み物はホットコーヒー、そして、チョコレートケーキ。
 私は鞄の中から持ってきた文庫本を取り出した。
 昨日買ったばかりの本。題名がとても気に入ったので選んだ。
 ページをめくったが、彼のことが気になって読めない。
 小説はただの字がたくさん詰まった本でしかなかった。

 どうやって時間を過ごしたらいいんだろう?
 得意の空想もちっとも浮かんでこない。
 いつもならあっという間に過ぎる時間だが、今はまるで進まない。
 店に入ってからまだ、5分も経っていないのだ。
 それなのに、私は非常に疲れている。
 心がいつ破裂してもおかしくない状態。いつまでもつだろう。
 目の前に注文したケーキセットが置かれたけど、私は食べる気になれなかった。

 こんな時どうしたらいいんだろう?
 ゆっくり深呼吸してみたが、全く効果は無い。
 気だけが疲れる。

 やっぱり、来るべきじゃなかった……。

 胸がこんなに苦しくなるとは思ってなかった。
 それに……。
 彼はいない。
 急用ができて来れなくなったのかな?
 それとも……。

 その先を考えると涙が出そうになる。

 嘘だったの……?

 そうかもしれない。
 見ず知らずの子に突然声をかけられたんだもの。気味が悪いよね。
 私、バカなことした……。

 一粒の涙が零れ落ちた。

 帰ろう。これ以上、ここにいても仕方ない。

 手付かずのままのケーキセット。
 ホットはもうすっかり冷めている。
 チョコレートケーキは……。

 ―― 当店一番人気は、チョコレートケーキです。さほど甘くなく好評をいただいております。

 彼が教えてくれた。

 ―― 多分ね。俺、食べたこと無いからはっきりとしたことはわからないけど。

 くすくすと小さな笑い声を上げた。

 あの笑顔。
 忘れられない。
 忘れられないから、ここに来たんだ。
 もう一度会いたくて、来たのに……。
 彼はいない。

 誰かが私の前の席に座った。
 混んでいるから相席なのだろうか?
 相席いいかどうかをお店の人は尋ねてくるはずのに……。
 見ず知らずの人に泣き顔見られたくない。

 もう嫌だ。出て行こう。
 もう、二度とこの店には来ない。
 この店を思い出す時、私はあの人に会えてよかったと懐かしむのだろうか。
 それとも、胸が痛んで忘れたいと思うのだろうか。

 私は席を立とうとしたとき、相席の人の手が目に映った。
 荒れた男の人の手。

 まさか……。

 期待が膨らむ。鼓動が高まる。
 私はゆっくりと視線を上げた。

 そこには、微笑を浮かべた彼がいた。

「ちょっと、遅くなったかな……?」

 私を見詰めて申し訳なさそうに笑った。

 その笑顔は私の心をぎゅっと掴んだ。痛くて泣きたくなるほど。

「ううん……」

 私は首を横に振って、たった一言告げるのが精一杯だった。
 しゃべると涙が零れ落ちそうで、我慢するのがやっとだった。


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