I Wanna Cry
【 14.オーナー 】
優雅にチョコレートムースをすくって口元に運んだ。 俺の視線に気付いたのか、ちらりと見ると話し掛けてきた。 「徹也、食べないの? おいしいわよ」 テーブルの上にある手付かずのチョコレートムースを勧めた。 俺が、この手のもの苦手なことを知っていてなぜ誘うか? この人は。 毎回毎回。 「今度からは、別の男にしてください」 目の前の女性はにっこりと微笑んだ。 この微笑の後に続く言葉に誰が逆らうことができるだろう? 逆らえる男がいるのなら見てみたい。 「同じ食事するなら、見目のいい男のほうがいいじゃない」 このセリフを何度聞いたことか。そして、俺は言い続けてきた言葉を告げた。 「これっきりですからね。俺より若い男がいるでしょう?」 司とか。司とか。司とか。 「若いだけじゃ物足りないのよ」 上手く切り返され、俺は何も言えない。 きっと一生このままやられっぱなしなんだろう。 一度くらいは、ぎゃふんと言わしてみたいが。 年上の女性は苦手だ。 俺がまだ20の頃、上手くエスコートできる人と行って下さいと言ったら、確か同じ連れ歩くのだったら若い方がいいじゃないと言ったはず……。 今、そのことを言ったら、あら、そんな昔のこと覚えてないわというに違いない。 都合が悪くなると忘れる。 そんな女性だがどうしても憎めない。 俺が彼女の誘いに断っても、彼女は「業務命令」と言うだけだ。 業務命令で俺の自由な時間を拘束しないでもらいたい。 店を出た後、彼女はよほど気に入ったのか、満足そうにしていた。 「うん、うん、良かったわね。うちの店でも出してみましょうか? どう思う?」 「オーナーがいいって言うなら、いいんじゃないですか?」 デザートに興味の無い俺に尋ねてもしょうがないような気がする……。 命令どおり、チョコレートムースを食べた。おいしかったとは思うが、俺には一口で充分だった。 「徹也、二人の時はオーナーって言うなって言っているでしょう?」 二人の時だからこそ、オーナーって言いたいじゃないか。 名前で呼び合っていたら、周りの皆が勘違いする。 ほら、今さっきすれ違ったおばさんたちもそんな目で見ていった。 俺はツバメじゃねぇ……。 「それと、投げやりな態度は許せないわ」 にっこり微笑んだ。 無敵の笑顔。あるいは恐怖の笑顔とも言う。 「いいと思います」 「そう? じゃ、検討してみましょう」 オーナーは上機嫌だった。 自分が気に入ったものなら、店のヤツラがどんなに反対しようが必ず出すくせに。 来月のメニューにチョコレートムースが加わっているだろう。 「仕事行くにはまだ時間あるわね。どうする?」 「一度、家に帰ります」 家に帰っても余り休む時間は無いが、街で時間を潰す為にぶらつくよりはましだ。 「帰っても余りゆっくりできないわよ。喫茶店で働いたら?」 「……ただ働きせよと?」 これ以上の時間外勤務は勘弁してもらいたい。 「仕事している方がいいでしょう? 別れた女に振り回されるくらいなら」 このやろう……。 オーナーとはいえ、女とはいえ、殴りたくなってきた。 オーナーには万里子のことは話していない。 勘のいいオーナーは、俺の行動を観察してピンときたのだろう。 「徹也って優柔不断よね」 きつい一撃を言い放った。 そんなこと、言われなくてもわかってる。 目の前で、かつて愛した万里子が悲しげにすがり付いて泣くんだ。 放っておけるほど、無情にはなれなかった。 我ながら、情けないと思う。 あんなに恨み憎んだのに、俺と同じ目にあわせてやりたいのに、会うたびに復讐心は薄れていった。 いつか、言いそうになる。 あいつと別れちまえって。俺とやりなおそうって。 言ったところで、万里子は喜ばないだろう。 万里子は裕福な生活を捨てることはできない。 「心底惚れた女を手放した徹也が悪いのよ。今度はもっといい恋しなさい」 とどめの一撃をオーナーは告げると駅へ続く道を進んでいった。 手放したのは、俺だ。こうなってしまったのは、あの時万里子を追いかけなかったからだ。 あの時追いかけていたのなら、今、どのような暮らしをしているのだろう。 幸せで一杯、愛情に包まれた生活だろうか。それとも、今と変わりばえの無い生活だろうか。 人と会っている時、携帯電話の電源をオフにする。その人と会っているのに他の人からの電話が鳴り、会話をするのは会っている人に対して失礼な気がする。 会っている時切っているから、電話がつながらないとよく言われる。 電源を入れると留守電とメールがたまっている。 俺は電源を入れた。オーナーのキツイ一撃から立ち直るには、他の人からの他愛ない言葉で気を取り直せる。 留守電は一件。母からだった。 まだ12月にもなっていないのに、お正月帰ってくるのと聞いてきた。 どうやら、正月に俺が帰ってきたら何かやらせようと企んでいるようだった。 メールは二件。 一つは司からだった。 件名:悪ぃ〜。 ―― ちょっと遅れるかも〜。よろしく〜。 前もって連絡をくれるということは、今現在何かをしているのだろう。 理由を聞くほど野暮でもない。 二件目を見る前に、司に返信した。 件名:わかった。 ―― 15分以内なら許す。 二件目のメールをチェックした。 件名:こんにちは。 ―― こんにちは。高名由佳です。昨日はありがとうございました。今週から寒くなるそうです。徹也さん風邪など引かないように気をつけてくださいね。来週の日曜日、楽しみにしています。 由佳ちゃんからだった。 送信時は11時23分。今現在、14時6分。 俺は喫茶店で待ち続けていた由佳ちゃんを思い出した。 もしかすると、俺からの返信メールをずっと待っているかもしれない。 電車で見かける。携帯をチェックする少女。何度も携帯を開いては、溜息をつく。 彼からのメールを待っていたのだろう。 5分も経たないうちに携帯をチェックする少女の気持ちなど送信先の彼は知らないのだろう。 彼にメールを送ってやれよと小言の一つ言ってやりたくなる。 由佳ちゃんもあの少女のように携帯をチェックしては溜息ついているのだろうか。 俺はメールを打ち始めた。 長い時間待たせたのだ。早く送信してあげたい。 件名:授業中? ―― メールありがとう。昨日は悪かった。日曜日は、由佳ちゃんの行きたいところに行こう。どこがいいか考えていてくれる?時間はまだはっきりとは言えない。2、3日中にはもう一度連絡するよ。じゃ、勉強しろよ。 俺は送信前に一度読み直して、苦笑した。 ちっとも心のこもっていないメールだ。 由佳ちゃんの行きたいところへ行こうなんて書いているが、本当は自分で考えるのが面倒くさかった。 由佳ちゃんが喜ぶ場所なんて、見当つかない。 イマドキの高校生が何が好きかなんてさっぱりわからない。 送信後、すぐに返信のメールがきた。 件名:休み時間です。 ―― わかりました。考えておきます。授業は後一時間で終わりです。(><) 短い文章だった。 チャイムが鳴り始めて急いでメールしたのかもしれない。 そんな感じがした。 高校の授業中。 当初付き合っていた彼女から手紙がよく回ってきた。 休み時間に話せばいいことのなのに。 先生が板書している間に振り返り、声には出さずに伝えた。 今の子達はメールでやりとりしてるのかもしれない。 10年で様々なものが移ろいでいった。 物も、人の心も。 俺だけが一人とり残されている。そんな気がした。 |