I Wanna Cry
【 16.ストラップ 】
待ち合わせは場所は東改札口。時間は14時。 由佳ちゃんはまだ来ていない。と言っても、俺が少し早めに来たのだから、ま、当然か。 今日と来週の日曜日の休みを司と交代してもらった。 ―― 誰とどこ行くんだよぉ〜。このこのぉ〜。 司に肘でつつかれ冷やかされたが、無言で対処した。 由佳ちゃんのことを話せば、従業員全員を喜ばすはめになる。 まっぴらだ。 ただでさえ、餌食になりやすいというのに。 俺は壁にもたれ、駅を行き交う人たちを眺めていた。 俺と同じように、待ち合わせをしている人が多い。 待っている人は、どことなく不安そうにしている。 もしかすると、俺も同じような表情をしているかもしれない。 由佳ちゃんから好意を持たれてはいるものの、不安が無いわけではない。 今日は都合が悪くなったのでいけませんと言われたら、正直へこむ。 知りあったばかりの子との初めてのデートは、いくら年をとっても緊張するものらしい。 隣りで待っていた少女の元に待ち人―― 男が現れた。 少女の固まっていた表情が一気に緩む。 ―― ごめん、待ってた? ―― ううん。今来たところ。 彼女は一人待ち続けていた孤独な時間を簡単に許した。 二人は仲良く並んで人込みの中に消えていった。 ―― 女は5分遅れてくるのが常識なの。そして、男は5分早くくるのが常識。 と言ったのは、万里子だった。 万里子と付きあい始めてから、俺は10分間待ちぼうけをしなければならなかった。万里子が5分きっちり遅れてくるとわかっていながらも、待ち合わせの5分前にはいた。 万里子のことを思いながら待っているのは楽しかったし、彼女の言ったことを守る自分が好きだった。 あいつのわがままを許してしまうほど俺は愛しているのだと。 自分に酔いしれていた。 俺は未だ5分前に待ち合わせ場所に行く。 馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、一度身についた習慣は簡単に直せないようだ。 「ご、ごめんなさい……!!」 人波を掻き分けて由佳ちゃんが改札口から出てきた。 「電車、一本乗り遅れちゃって……」 由佳ちゃんは申し訳なさそうに何度も謝った。 腕時計を見ればわかることだが、俺は確かめなかった。 いや、これも習慣だった。 ―― 女の人が来ただけでも感謝すべきなのよ。 万里子は言った。 万里子を知らない人からしてみれば、異性にやたら厳しい、高飛車な女だと思うかもしれない。 6年間女子校で過ごし、同世代の男とどのように接していいのかわからない不安を悟られるのが怖い万里子は、わざと強がっていた。 俺には、あいつの虚勢が愛しくてたまらなかった。 「いや、俺も着いたところだから」 ありふれたセリフだと思ったが、由佳ちゃんはホッと息をついた。 膝丈のベージュのコートを由佳ちゃんは着ていた。 髪を結い上げ、面差しをはっきりと見せた由佳ちゃんは以前会ったときより少し大人びて見えた。 ―― 服装は必ず誉めること。 これまた万里子は言った。毎回毎回同じ誉め方だと万里子は不機嫌になる。俺は今流行っているファッションやアクセサリー、髪型の情報を常に調べた。 邪魔くさいとぼやきながらも、楽しんでいた。 万里子が嬉しそうに笑ってくれるだけでよかった。 流石に、知り合って間も無い由佳ちゃんのファッションをチェックをし、誉めることはしなかった。 後から思ったのだが、この時、誉めた方が良かったかもしれない。 うさんくさいと警戒された方が由佳ちゃんの為にもよかったかもしれない。 由佳ちゃんの為に……? その先を考えるのはやめた。 「どこへ行こうか? 考えてくれた?」 俺が尋ねると、由佳ちゃんは俯き恥ずかしそうに告げた。 「あの、テディベア博物館に行きたいんです」 「テディベア?」 思わず聞きなおしてしまった。 俺の反応が悪いと思ったのか、由佳ちゃんはあわてた。 「ごめんなさい。恥ずかしいですよね。男の人がぬいぐるみの博物館に行くの。ごめんなさい、別のところにします」 残念そうに目を伏せた。 一生懸命考えた場所を興味が無いから行きたくないというほど子どもでは無い。 「いいよ。行きたい所へ行こうって言ったから、行こう。場所は知っている?」 由佳ちゃんは嬉しそうに笑った。 「はい。ちゃんと地図持って来てます」 若さはじける可愛らしい笑顔だった。 眩しいばかりの笑顔は、今の自分には辛かった。 ****************** 博物館に入ると、正面に大きな熊のぬいぐるみが椅子に座っていた。 首から「触らないで下さい」と書かれたボードをぶら下げている。 由佳ちゃんは大きな熊のぬいぐるみの前で立ち止まったまま動かない。じっと真剣に見詰めている。 「由佳ちゃんはテディベア好きなんだ」 「はい。大好きです。暇さえあれば作っています」 「へー、そうなんだ。器用なんだね」 「そ、そんなことないです。お裁縫は好きですけど、お料理は全然ダメなんです」 誉められることに慣れていないのか、あるいは、謙虚な性格なのだろうか。由佳ちゃんは顔を真っ赤にして、あっさりと不得意なものを告げた。 「料理上手くなっていた方がいいよ。男は料理上手の女の子に弱いから」 「でも、包丁持つの、怖いです」 「怖がっていたら、何も始まらないよ」 何気なく言ったセリフが、やけに自分に響き返ってきた。 怖がって何もできない。 万里子を失うのが怖くて、未だ足踏みしている。 博物館の中での由佳ちゃんは真剣にケースの中にあるテディベアを見詰めていた。 たくさんあるテディベアの中でもどうやら、好き嫌いがあるらしい。 手前にある茶色のテディベアは好きだが、左横にあるチェック柄は可愛くないと言う。 俺にはどれも同じにしか見えなかったが、熊好きの由佳ちゃんには微妙な違いがあるようだ。 一番気に入っているのは、1メートルはあるテディベアだった。 帰り際にもう一度、正面玄関のテディベアを見に行った。 「そのぬいぐるみ、欲しいのか?」 由佳ちゃんが真剣に見詰めているので尋ねてみると、こくりと頷いた。 「誕生日に買ってもらおうと思ってたんですけど」 「クリスマスに買ってもらったら?」 「私、12月生まれなので、クリスマスと誕生日一緒にされてしまうんです」 「へぇ、12月なんだ。俺もだよ」 「え、本当に?」 由佳ちゃんはうれしそうに笑った。 「12月のいつなんですか?」 「5日」 「私、15日です。10日違いですね」 誕生日が近くて、こんなに喜ばれたのは初めてだった。 余りにも嬉しそうに笑うので、照れくさくなり、次第に落ち着かなくなってきた。 心内を由佳ちゃんに勘付かれぬように、さりげなく話し掛けた。 「ところで、由佳ちゃんは、高校何年生?」 「一年です」 12下……。 10〜12才下の高校生だとは知っていたが、面と向かって言われると、年の差を感じた。 俺が今の由佳ちゃんと同じ年のころ、由佳ちゃんはまだ3歳……。 彼女は、何も知らないところから始まり、一つ一つ経験し成長していった12年。 その間、俺はただいたずらに年をとっただけ……。 「ってことは一回り下か」 「徹也さん、そんなに年上の人には見えません」 俺と同い年の女は年より若く見られると喜ぶが、男は余り嬉しいものではない。 仕事で、年より若く見られると不利だ。 貫禄がないと、軽くあしらわれる。 「ま、由佳ちゃんから見たら、20代の男なんて一くくりだろう? 俺には中学高校生は同じだ」 口の悪い中高生から、すっかり「おっさん」と言われるようになった。 風呂には入らない、髪の毛に白い雪を散らばせた彼らの父親と同じ「おっさん」の部類といっしょにされ不愉快極まりない。 俺も中高生の頃は20を過ぎた男女を年寄り扱いしていたことを思い出した。 「中学生と高校生は違います!」 由佳ちゃんは驚くほどむきになった。 どうやら中学生=子どもと一緒にしてもらいたくないようだ。 そうむきになるほど子どもだと言っているようなものなのに。 「昔は俺も中高生の区別はついたんだけどな。今じゃさっぱりわからない」 「……同じじゃないです」 由佳ちゃんはむすりとふくれた。 制服が変わっただけで、大人になったと思い込んでいた。 まだ庇護無しでは生きていけないのに、そこまで子どもではない。少しは物がわかるようになったと偉そうにしていた幼い自分が不満気に俺を見詰める。 言いたいことはわかっている。 世間知らずで、純粋だからできた無茶無鉄砲なことはもうできない。 迷いと痛みが判断を鈍らせる。 痛みを知っているからこそ、保身になる。 俺はあの頃一番嫌っていた我が身可愛さに身を守る情けない男になった。 ****************** 時計の針は3時40分をさしていた。 どこの喫茶店も混んでる時間帯だ。このままブラブラと街の中を歩いて、店がすいてきた時間に入るほうが賢明かと考えていると、左隣にいた由佳ちゃんの姿がいないことに気付いた。 あれ? 俺は振り返ると、由佳ちゃんは少し離れた後方でキョロキョロと何かを探していた。 多分、何かを落としたのだろう。下を向いている。 「由佳ちゃん?」 呼びかけると、今にも泣き出しそうな顔をして見上げた。 「何か、落としたのか?」 こくりと頷いた。 「博物館出た時にはあったんです。携帯につけていたお守り。ここに来るまでのどこかで無くしたみたいです」 由佳ちゃんは来た道を引き返し始めた。 日曜日の人込みの中、落し物を見つけるのは困難だ。 しかも、博物館まで30分はある。 人にぶつかりそうになりながらも、顔を強張らせ懸命に探す由佳ちゃんにはかわいそうだが、見付からない気がした。 博物館近くまで引き返したが、落としたお守りは見付からなかった。 「もう一度探します」 と言い、再び道を引き返し始めた。 「もう、あきらめよう。見付かりっこないよ」 由佳ちゃんはぴたりと立ち止まった。 そして、振り返らずに告げた。 「どうして、そんなこと言うんですか? 探せば見付かるかもしれないのに」 「引き返してみても見付からなかったんだろう? もう一度探してみたところで見付かるはずが無い」 「そんなのわからない」 体を震わせ、涙声で由佳ちゃんは言った。 泣かれると辛い。 「わかった。もう一度探してみよう。お守りってどんな感じのものだったんだ?」 由佳ちゃんは涙を拭きながら頷いた。 「これくらいの大きさで、ピンク色の花柄模様……」 親指ほどの大きさの小さなものだった。 手芸が得意な由佳ちゃんだ。 もしかすると、自分で作ったものなのかもしれない。あるいは、誰かからもらったものか。 「中には、徹也さんが書いてくれた携帯メールのアドレスのメモが入ってるの」 そう言い終えると、再び泣きはじめた。 あの時、渡したメモ。 由佳ちゃんはあんなものを大事に持っていたのか? お守りと言った。 ただの紙切れが……。 携帯電話の番号ではなくメールアドレスを教えたのは、直接声を聴いて話す必要はない子だからだ。 この先、親しくなるつもりなどなく、邪険に扱い辛い位置にいた子だから教えただけ。 由佳ちゃんは、それだけの子だ。 それだけの子だったはず。 頑なに堰き止めていたものが突然力を失い、一気に流れ出す。 目の前で悲しげに泣く少女に慰めの言葉一つ思い浮かばない。 情けなくて嫌になってくる。 「……泣き止んでくれないか? 泣いている女に何て言ってていいのかわからない」 12も年下の少女に本音を告げてしまうほど、俺は困っていたのだろうか。 それとも……。 惹かれたのだろうか。 この少女に。 「……はい」 由佳ちゃんは涙を拭いて、笑顔でこたえた。 困り果てた俺を、一刻も早く救い出すように。 |